芸術論 おぼえ書き1



 ○目に見える世界って何?
 ○人間が物を見るメカニズム
 ○「現実」は「記憶」からできている
 ○自我が認識する現実
 ○現実は、創れる!
 ○「現実」と「記憶」は時間差に過ぎない
 ○認識するのは、常に今の自我である
 ○真の意味での「現実世界」など存在しない
 ○視覚における色認識の限界



目に見える世界って何?

目の前に広がる世界とは、何なのでしょうか?

テーブルの上に赤いコップが置いてあるとします 

私たちは、眼でコップを見るわけですが
コップ自体を見ているわけではありません
コップにあたって反射した光を見ているのです

ですから見ているものは物そのものではなく光なのです

光とは、電磁波のうち周波数380nm〜780nm範囲内のことで
物自体とは直接関係ありません(発光していない限り)

私たちは、物そのものを認識しているわけではないのです

ですからコップそのものが赤いのではなく
反射された電磁波が赤色調の周波数帯であったということです

また、その物がなぜコップなのでしょうか?
それは過去の記憶による決めつけでしかありません

また、なぜテーブルの上に置いてあると思ったのでしょうか?
テーブルとくっついてなく、なぜ別物だと認識したのでしょうか?

網膜に投影された時点では光のシャワーでしかなく
それぞれは分類されていないカオス状態のはずです 

TOPに戻る↑



人間が物を見るメカニズム

人は光を見てどのように物を認識しているのでしょうか?

それではここで、視覚による認識システム
に関して簡単に整理してみます

目の前に広がる世界の様相、形や色は光として眼に入る
網膜で電気信号に変換され
視交叉を経て、視覚野で画像処理され画像となる
画像情報は海馬にて重要度により選別され
前頭前野に送られ、そこで始めて形が感じられ
記憶との照合・合成処理の後、意味が認識される

というプロセスを経ることになります

光という電磁波が網膜で電気信号に変換され
電気信号が視覚野で画像に変換されて
初めて我々が見ているような世界になるのです

視覚野についてもう少し詳しく説明すると
視覚野は画像が映し出されるモニターのようなものです

細胞の集合体で、ドットによるCG画像と近似している
細胞は丸みを持っており、映し出される画像の輪郭は
ぼやけているが、画像処理により明快な形となる
視覚野は6層に分かれており、電気信号を受け階層的な処理を行う
解像度はそれほど高くないが、何層ものフィルターにより
大まかな形で捉えられていたものが、徐々に細密に映像化される
シャープな形を映し出せばその分負担がかかることになる

視覚野における画像処理

エッジを統合する
同じ程度の明るさを統合する
陰影の特徴を読み取る
対象物の形態、知識を記憶より探す

コンピュータグラフィクスと酷似していることにお気づきでしょうか?

我々が見ている世界は、脳の中で作られた表現で
そのような風景が実際に存在するわけではないのです

TOPに戻る↑



「現実」は「記憶」からできている

光として入力された情報は、前頭前野に送られて
記憶との照合・合成の結果、初めて意味が認識される

現実は記憶からできています

脳の情報処理能力およびスコトーマの観点から考えると
次のようになります

・人間は見たことがあるものしか認識しない
・見たことのあるものの組み合わせしか認識しない
・初めて見て認識できる見たことのないものは
過去に見たことのあるものとの類似性により認識している

さらに

・人間は自分にとって重要なことしか認識しない
・目の前の現実は、自分にとって重要な記憶で成り立っている

記憶であろうが現実であろうが
すべて記憶である

TOPに戻る↑



自我が認識する現実

人間は自分にとって重要なことしか認識しない

自我とは過去の記憶からなる
重要性の高低を決める関数である

自分にとって重要なものが、自我という評価関数を決める

現実とは評価関数によって見えるもののことである
評価関数はすべて過去の記憶からなる

目の前の現実は
自分にとって重要な記憶で成り立っている

その他の記憶はあると思っているだけ
重要でないものは存在しないのと同じ

TOPに戻る↑



現実は、創れる!

現実は記憶からできています
では、記憶はどのように保存されているのでしょう?

脳は「色」「形」「明るさ」「動き」など別々(バラバラ)に
記録していて、それらを統合して一連の記憶として認識する
記憶は合成である

つまり
目の前の現実は、記憶の合成である

ならば
本物の記憶自体、合成なのだから
合成された偽物の記憶もまた、当然リアルである

すると
過去の記憶を再合成し、創作された偽物の記憶は
本物の記憶と変わらない新しい現実となる

つまり

現実は、創れる!

TOPに戻る↑



「現実」と「記憶」は時間差に過ぎない

現実と記憶は時間差に過ぎない
記憶は時間を遅延させた認識である

現実の世界
体の神経(眼球から視神経を通って視覚野)を通じて認識
記憶の世界
脳にある記憶を呼び出して認識

現実の世界
ビデオカメラのレンズから回路を通ってモニタに映し出されたもの
記憶の世界
ビデオディスクからデータがモニタに映し出されたもの

現実も記憶も再生されたとき、今の自我に「見られ」る
自我がレンズの性能や方向・画角を決め、認識する

脳神経の働きは遅く、認識はリアルタイムではない
ものを見てから認識するまでに
200〜300ミリセカンド(1/1000秒)ほど遅れる

遅延という意味では現実も記憶も同じ

現実の世界と記憶の世界は同じものである

TOPに戻る↑



認識するのは、常に今の自我である

現実の世界はモニタに映る小さなフレームの世界である
フォーカスのあったものしか見えず、何をフォーカスするかは
その時、何を重要だと思うかで決まる

さらに
見ているものに対する知識がないと認識できない

ボケているものは、見えている気になっているだけで
存在は認識されず、背景の一部でしかない
しかし
目はキョロキョロといろんなところをみている
結果、記憶には多くの情報が残ることになる

記憶の世界でフォーカスを決めるのは
過去ではなく今の自我である

すべての記憶は、今の自我によって解釈が変わる
つまり
同じ出来事が思い出した時の自我によって変わることになる

認識する自我は、常にリアルタイムの今の自我である

記憶の世界も現実の世界も全く同じである
遅延時間の長短の差でしかない

TOPに戻る↑



真の意味での「現実世界」など存在しない

仮に、客観的な現実世界があると仮定しても

人間が認識する現実世界は
自分本人のもつ記憶からなる現実世界でしかない

個々人にはそれぞれの現実世界があり
それらは全く異なる別の現実世界である

それら一つ一つの現実世界を、
認識する人間個々人の内部表現という

この内部表現こそが現実世界であり
自分自身から独立した絶対的な世界は存在しえない
認識できない世界は、存在しないのと同じである

つまり
真の意味での現実世界など存在しない

TOPに戻る↑



視覚における色認識の限界

今まさに、この眼で見ている風景は
現実の世界そのものではないのか?

ここで
色認識の限界について考察してみましょう

人間は物そのものを見ているわけではなく、物に反射した光を見ています
光とは電磁波のことです
周波数380nm〜780nmを可視光といいます

人間は、この周波数域外の電磁波を見ることはできません
すでにこの時点で現実の世界を視覚は捉えきれてないのです

さらに
可視光には赤から紫まで、グラデーション的に無限の色が存在します
がしかし
人間はそのうちの3色 赤 緑 青 しか見ることはできません

網膜にある錐体細胞には3種類あり、それぞれが
赤 緑 青 の受光素子の役割を担っております
光の3原色 RGB の所以はここにあるのです

つまり
それ以外の色は、そのまま認識することはできず
RGB の成分のかけ合わせにより、
はじめてその他の色を認識できるのです
たとえば
自然界の黄は、黄そのものではなく赤+緑として認識するのです

いわゆるフルカラーとは、人間の認識できる限界カラーのことで
自然界に満ち溢れるであろう総天然色世界とは全く違うものです

そもそも我々の知る色とは脳が変換した色彩表現で
網膜がとらえることのできない電磁波周波数帯は
脳が色彩表現として画像処理することもありませんから
どのような色なのかは知りようのないことなのです
色そのものが存在しないといってもいいでしょう

つまり
人間の見ている色彩の世界は、人間の都合内でしかありません

人間は、見るという基本システムにおいて
現実を認識することなど初めからできないのです

TOPに戻る↑